ふとそんなことを考えました。
旅の醍醐味のひとつは、じぶんのもつ価値観を木っ端みじんに破壊してくれること。
世界はひろく、じぶんがいかにちっぽけな存在かを教えてくれます。
3人以上の集団行動が苦手
ひとつの社会に属していると、似た者通しが集まりやすく、考え方や行動習慣が凝り固まります。
ぼくの前職の乳製品業界なんてその典型で、古い慣習に従わないと邪魔者扱いされるばかりでなく、業界の常識をわかってないといったレッテルを貼られ、相手にされなくなったものです。
ただ似た者通しが集まってグループを形成することは当たり前のはなしです。
こまかい話をしなくても話は通じるし、お互いがお互いを理解しやすいんでしょうね。
それと、いつも一緒にいるから自然と安心感がうまれ、どんどん仲間内での結束がつよくなっていく。
ただぼくはグループ行動が大の苦手。
もう物心つくまえの幼稚園児のときから、みんなで何かをやるといったことが嫌で仕方なかったのをおもいだします。
合唱コンクール、運動会、クラス内での休憩時間、ぼくはいつでも集団になることを避け、恐れ、暮らしてきた気がします。
向き合うのはいつでもたった一人
時と場所によって相手は違うものの友達をつくり、ぼくは四六時中いっしょにいるような関係性をつねに求めてきました。
いまでも鮮明に覚えています。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして社会人の思い出として、ぼくのまわりには大勢のひとではなく、決まってたったひとりの存在が思い浮かぶのです。
いつからでしょうか?
みんなとワイワイできるひとが羨ましくなり「ぼくもあーなりたい」と強く願いはじめたのは…。
おそらく物心ついたときからそういった感情はずっともっていたのでしょう。
そんなじぶんの殻を破るべく、人生のところどころで集団生活に馴染もうと幾度となく試してますからね。
ただ成功した気がしてもうまくいかず、すぐに集団生活に嫌気がさし、ひとりで行動するか友達と呼べるような仲のいいひとをいつでも一人みつけてきました。
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集団行動なんぞ、いらん
そこで気づきました。
やっぱり僕には無理なのですよ、3人以上で行動するということが…。
ちょっとの時間であれば耐えられますよ、1日とか数時間とか。
ただそれが何日にもおよぶと、とたんに居心地がわるくなり逃げたくなる。
周囲をとりまく空気を重くかんじて息苦しく、窮屈で仕方なくなるんです。
だから33才となったいまでは、もう完全に諦めました。
集団行動はできないし、無理してまで合わせる必要はないな。
そうわかるまでに33年かかりました。
いやむしろ今もわかってなくて、たんに苦しいからそう考えようとしているだけかもしれません。
ただこうやって一度文章にして残しとくことで、未来のじぶんが見たら一体どうおもうのかなって。
旅好きの理由は、現実逃避
むしろ僕が旅を好きな理由は、ただの現実逃避なのかもしれません。
訪れた先はまったくの新しい世界で、人間関係などなくてあたりまえ。
そこにあるのは現実と未来だけであって、過去に縛られることはない。
だからこそ清々しく、最高の居心地のよさを感じているのではないでしょうか。