水族館で「おいしそう」という子どもに驚いた「スリランカ系オーストラリア人」の妻。

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これはもう文化の違いでしょう。

築地や魚屋でならんでる一匹丸ごとの魚をみたら、「おいしそう!食べたい!」とおもうことありませんか?

僕はちっちゃなころから魚が大好きだったので、なおさらです。

 

見慣れてるからこそ

このまえ三重県の鳥羽水族館にいってきました。

 

参考:鳥羽水族館のスナメリは「美肌、笑顔、フレンドリー」と海の天使だった。飼育種類数は日本一で、絶滅危惧種のジュゴンやマナティーもいたぜ!

 

そこで、ハマチ、タイ、サバなどが泳いでました。

お察しののとおり、焼き魚や寿司ネタとして一般的な魚がおおく展示されてたんですよ。

「あまり水族館でみないよなぁー」とおもいながらも、ぼくも反射的に「おいしそう」と感じてしまいました。

まわりにいた大人や子どもたちからも同じような言葉が聞こえてきます。

 

そう、ぼくらにとっては身近な食材で、丸ごと一匹から料理される姿も見慣れてますからね。妻の影響があってか最近でこそ残酷だと感じるようにもなってきた僕ですが、どうしても脊髄反射的に刺身や寿司とむすびついて、生唾がでてきます。

 

ただどうしても見慣れてない妻には残酷にうつるようで、めちゃくちゃ驚いてました。

オーストラリアに限らず、どこでも料理現場は一緒なはずなんですけどね。

厨房で料理されるから見えないだけで…。

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スーパーの肉や魚には生々しさがない

鮮度のことじゃないですよ。

もっと生きる力といった意味合い。

たまに見かけるのが、生き物が殺される現場をみることを避けるひと。そして避けるだけならまだ分かりますが、本人は牛肉や豚肉をたべてるにもかかわらず、その食材がつくられる工程をまったくもって知ろうともしない。

ぼくにはこれが不思議で仕方ないのですよ。

 

だって生きてるものを殺してまで食べてるんだから、その現場を見ること、あるいは少なくとも知ることって大事なんじゃないかなー。

レストランでは完成した料理としてでてきますし、スーパーに行ったって多くのところはすでにカットした状態で販売されています。

 

だからそこには、生き物が死んだ(殺された)という生々しさ(リアリティ)がない。

 

生きてる動物と、ぼくらが食べる動物とのあいだには、意識的にか無意識か、大きな壁がある気がしてきます。

 

たしかに一見しただけでは、動物たちの「生」といったものを感じることはできません。

ただし、ぼくらが肉や魚(いや野菜もおなじか)を食べるということは、生き物の大切な「生=生きること」を奪うことでもあります。

 

生き物に感謝する

ベジタリアンになれといってるわけではありません。

ぼくは牛肉、豚肉を食べますし、魚が大好きです。

食べるという行為は、貴重な生き物の犠牲のうえで成り立っていること。

 

いいかえると、ぼくらの生活は他の生き物なしでは成り立たないのです。

いつでも感謝をわすれないようにしたいものです。

 

参考:命の重み。あなたは食事のとき、食べ物に感謝していますか?動物、魚、野菜。僕らの生活は他者の死でなりたってることを忘れてはいけない。

 

こんな本を発見!

食べないで死なないのかな。

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

食べない人たち (「不食」が人を健康にする)

6年間水も飲まない弁護士、18年間1日青汁1杯の鍼灸師、不食の人体実験に自ら挑んだ思想家―3人の実践家が明かす新しい生き方。







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