ふとしたキッカケで色々と思い出しました。
いま考えるとやっぱヤバいね。
当時のことを振り返ってみたいとおもいます。
光が怖かった
1日1回だけじゃなく、会社休んで、朝、昼、夕方、夜、深夜、だいたいこういった時間に1回ずつ、しかも夜でも電気を真っ暗にしてお風呂にはいってました。
暗いのがいいというよりも、たんに光が嫌だったんですよね。
いまだに理由は不明だけど。
もう夜行性の動物のように、昼間から光をさけ、夜になっても電気はミニライトしかつかわず、必要最低限の光で過ごす。
1日になんども風呂にはいったのは、やっぱりストレスを異常なまでに感じててリラックスを求めてたんだろうけど、リビングルームのミニライトがかすかに射し込むようにして風呂場の電気はすべて消してました。
こんなことしてたのは病気が相当ひどかったときで、うつ病を発症したロサンゼルスでの話です。ひとりでそれなりに良いマンションの一室を会社に手配してもらい(ふたつのプールつき、バスケットコートつき)、そこで駐在生活をはじめて早3ヶ月ほど。
気づいたときには、ぼくの精神状態は光を怖がるまでに崩壊してたのです。
異常なまでのシンドさ
いまおもうと、こういったことをしてたのは、じぶんが病気だってことを知るまえで、まだ病院に行ってないとき。
毎日のように「オーバーワークで失神するんじゃないの?」「脱水で倒れるんじゃないの?」ってぐらいまでマンションに備えつけのランニングマシンで走ってたのも、とにかく理由もわからずに苦しかった状態を忘れたかったからだとおもいます。
ほんとやってることが異常で、なにかに没頭してないと、不安で不安で仕方なく、いちどでも止まると凄まじいツラさが身体中を襲ってくる。
もう自分が自分じゃなく、どこに助けを求めたらいいのかわからない状態でした。
ましてや気がつよく何事にも自信過剰だったぼくは、ツラさが精神的なとこからきてるなんてこれっぽっちも考えもせず、地獄の底にむけ一直線に落ちていったのです。
生き地獄へようこそ
落ちるとこまで落ち、もう仕事なんてできる状態ではなくなりました。
ぼくの他にひとりしかいないロサンゼルスの事務所で、その60歳を超えるような上司からは、生きる屍のような顔をしてると何度も指摘されました。
業務上のミスも次第に増えていき、自宅と会社までを行き来しては、ただボケーっと何もできないまま時間だけが過ぎていく日々。
気づくと理由もなく涙を流してました。
もうツラくてツラくて仕方がなく、助けを求めようにも何をしたらわからない。
とにかくネットで検索をくりかえしてるうちに、心の状態をチェックできるうつ病診断にたどり着いたのです。
藁にもすがるような気持ちでやってみると、ぼくの状態はかなり重症らしいことがわかりました。
検索ででてきた別の診断をいくつやってみても、すべて同じような結果がでてきました。
「重症です。いますぐに病院に行きなさい。」
そんな内容でした。
もう自分のこのツラさの原因を特定しないと文字通り精神的にも肉体的にも崩壊してしまいそうな僕は、チェック結果を上司に伝え、ロサンゼルスで日本語でも診断可能な精神病をあつかう医者を探し、すぐに向かいました。
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もっと早く受診すりゃ良かった
そこででた診断結果は、適応障害。
日本からロサンゼルスにきたことで環境がガラッとかわり、それに適応できずに色々と障害がでてきてしまったと。
適応障害は、若干のちがいはあれど、ようは鬱病のようなもんです。
症状もほぼ一緒です。
そういった診断で、ふつうだったら悲しくなるものじゃないですか?
じぶんがうつ病になったなんて受け入れることができないと思いません?
ただ僕はちがった。
もう毎日がツラくて仕方なかったので、ツラさの原因がわかったことで本当に安心しました。ほんとに救われた気分になったんです。
原因がわからずに、ぼくは一生このツラさを抱えたまま生きていかなきゃいけないのかと思ってたのが、じつはそのツラさは病気が原因だとわかったわけです。
いままで生きてきたなかで、これほど嬉しかったことはありません。
ボクシングで東京チャンピンオンになったときより、大学で人生はじめての彼女ができたときより、心の底から喜びました。
うつ病との戦いが始まった
でもここから治療が完了するまで、3、4年かかってますけどね。
いま振り返っても、この病気だと診断された日がとてつもなく大事な日だったことは、まぎれもない事実です。
うつ病との戦いのスタートだ!といった具合いにね。
ただいまだったら病気と戦おうだなんて気持ちは持たずに、一緒に生活するぐらいの気持ちで余裕を持つようにアドバイスしてあげたいですが(笑)
感謝がとまらない
ぼくが病気と診断される直前から診断されるまでのことを、ツラツラと書きました。
こうやって思い返すのもじつは結構ひさしぶりにな気がしますが、やっぱり大変だったんだよなー、とつくづく思います。
ここまで回復できたのも、一定の理解をしてくれた前職や家族、そして僕のネガティブな感情をいつでも受けとめてくれた数少ない友人や知り合いのみんな。
ほんと感謝していますよ。
うつ病のことを書くと当時をおもいだして、いまこうやって楽しく生活できてることが奇跡のようにおもえてきます。
ぼくの人生はぼくのものだけど、いろんなひとに支えてもらわらないと生きることはできません。
現実を直視し、受け入れる。
そして自分を取り巻くあらゆることに感謝したいとおもいました。
それではまた、チャオ!