うつ病で休職と復職をくりかえして仕事を辞めた!時期と期間をくわしく解説します。

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ぼくは2008年にうつ病になり、当時勤めていた会社を合計で2年ちかく休職して、そのあと退職しました。

うつ病の体験を共有することで、おなじような状況にある方の参考になればと思います。

うつ病で退職するまで

2008年6月

勤務先の研修生として、アメリカ/ロサンゼルス駐在所での仕事がスタート。

このときの僕は仕事人間で、会社として初めてのアメリカ駐在の研修に選ばれたことを誇りに感じ、しっかりと成果をだすことを心に決めて渡米しました。

9月

赴任当初から、いままでに例をみない異常な乳製品情勢により、だんだんと激務になっていきます。

仕事量の増加、老齢の上司と二人きりの慣れない職場、知り合いが誰もいない海外での新しい環境、こうした要因が重なりストレスがたまりはじめ、次第に体調が悪くなるのを感じはじめました。

仕事でのミスは日増しに増え、集中力がもたないことに気づきはじめます。

10月

1日中あたまがボーっとし、もう業務どころではない状態。

生きる屍(しかばね)といった言葉がぴったりの状態で、なにもしてないのに胸に異様な気持ち悪さを感じつづけた日々です。

この時期には毎日がとにかくつらく、気晴らしに出かけた海が一面に広がる崖では、飛び降りることが頭をよぎりました。

ここからの夕日はすばらしく何度も癒されたものの、体がすーっと持ってかれるような感じでさすがに怖くなり、それ以来、いちどもその崖には行かないようにしました。

いま考えると、「辛くて辛くて仕方がない日常から逃げだしたい!

そういった感情が無意識にはたらいたんだとおもいます。

もうこの頃には僕の病気はピークをむかえ、「生きる意味とはなんなのか」をずっと考えていました。

11月

体調悪化により、研修終了予定より1ヶ月早く帰国。

日本に帰国して診断を受けると、うつ病と診断されました。

そして数週間の休みをもらい、もう大丈夫だと思い働きはじめます。

このときには同僚、上司、僕自身さえも病気のことは心配しておらず、徐々に駐在前とおなじような業務をまかされはじめていきます。

いまおもうと、この時点ではっきりとSOSを出しておけばよかったです。

なによりも僕自身が、いままで出来てた当たり前のことができない状態が長引くとは思いもしてなかったんですよね。

2009年1月

とうとう限界に達して出社できなくなります。

不安感が強くなるといったこともありましたが、それよりも頭が働かない

誰かと話しても集中力が持たないため、やりとりできるのは3分だけ、そういった異常な状態です。

そうした状態がつづくと、次第に自分の存在価値について考えるようになりました。

なんのために生きてるのか、かんぜんに転落人生なのかと、ネガティブな感情のオンパレードです。

初めての休職

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2~3月

ここで2ヶ月の休職をとりました。

医者の診断書があれば、会社はそれなりに対応してくれたのが救いです。

この休職期間には、社会との繋がりがなくなったこと、なにをしてもダメな自分といった感情がぬけず、それを埋めるために週3回ほどボクシングジムに通いました(ぼくは高校時代ボクシング部だったので、過去の栄光にすがりたかっただけだと思います)。

そして、両親や同僚ふくめて、なかなか理解されない周囲への反抗と自分へのいらだちから髪を金髪に染めたのもこの時期です。

休職時にやった13つのことをまとめました。

うつ病と診断され2年休職した僕が、克服のためにやった13個のこと

 

4月

休職期間がおわり、職場復帰しました。

体調には注意しながら働いてみると意外と大丈夫そうだったため、うつ病発症前のペースに戻して働きはじめました。

ただこれはほんと大失敗で、あとあとぶり返すきっかけとなってしまいます。

2回目の休職

6月

このあたりで疲労と集中力の限界に達してしまい、再休職することに。

このまま休職と復職をくりかえしても意味がないと諦め、ここから1年6ヶ月の長期休職をはじめます。

2010年1~12月

傷病手当金をもらいながら、1年間まるまる休職中。

一人暮らししながら好きなように過ごしてました。

社会からの孤立がツラかったですが、この1年のうちに学んだことが、ぼくのうつ病への理解と考えかたの基礎になっています。

2011年1月

約1年半の休職を終えて、同じ会社でまた働きはじめました。

さすがにもう失敗は許されない強いプレッシャーを感じながら、まずは1日3時間だけ出社することからスタート。

俗にいうリハビリ出社というやつです。

2~10月

少しずつ出社時間を増やしながら、それにともなって仕事量も慎重に増やしていきました。

最初のころは「出社時間中は読書など好きなことをやっていい」と言われてたので、ほぼ出社中は好きな本を読んでましたね。

まわりが仕事をしてるなかで申し訳ない気持ちはありましたが、会社にいることを慣らす期間と自分に言い聞かせて、そこからすこしずつ仕事を取りいれるようにしていきました。

あとは、病気になった原因や経緯を振り返ることが「うつ病」の理解、そして自分の理解に有効だとかんがえてパソコン内で書いてました。

誰に見せるわけでもなく、もくもくと自己対話してたってところでしょうな。

退職

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11月

しかし、あるていど仕事量が増えたとこで体調がまた悪化しはじめて、「もうこのままじゃダメだ」と退職を決めることになります。

うつ病の発症から退職までは、こんなところです。

なんども休職と復職をくりかえしてしまうのが、うつ病患者の職場復帰の難しいところでしょう。

こればっかりは自分でも体調の管理が大変むずかしいため、なんともできないのはもどかしいところです。

 

退職してから始めたこと

うつ病で退職してはじめたのが、Tシャツ作りです。

元々ものづくりやデザインに興味があったこと、途上国のために何かできることがしたい、といった2つの理由から、オーガニックコットンだけのTシャツブランドを作りました。

それまで乳製品のB to B(企業向け営業)しかやってこなかったので完全な畑違いになるわけですが、やりたいことをやるのは病気にとってもいいだろうし、なによりワクワク感を止めることができなかったんです。

本やネットで1からシルクスクリーンでのTシャツ作りを勉強して、ネットショップで販売したり、ハンドメイドのイベントに出店して販売してきました。

大変なことも多々あったとはいえ、自分で作った商品を買ってくれる人がいるのは、すごくやりがいを感じますよ。

そうしたハンドメイドを始めた経緯やイベント出店した様子はこの記事にまとめています。

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